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自分語りする。

2022年09月28日
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1. 名無しのおっちゃん

2022年09月28日 23時27分 ID:6afdef428e (1/11) ID抽出 返信

この一年半くらいのことを書いていく。
僕にとってあまりにも重大な一年半だった。
僕にとって人生で一番重大だったかもしれない。
それぐらいのことだった。

しかし、記憶は薄れるもので、あれほどのことが、すでに当時の記憶を実感を持って思い出すことができない。いつの間にか、当時の自分が自分の中で他人になっている。そんなこともあったね、という思い出のうちの一つになりつつある。それが嫌でならない。

だから文章に書いておくことにする。
本当は書くのも嫌ではあった。結局の所文章は文章でしかないし、書いたところでそれは僕が感じていた感覚そのものではない。
しかし、どんどん僕の脳味噌は忘れていく。それには抗えない。書かざるを得なかった。せめてまだ覚えていることだけでも書き残しておく方がいいと思った。

なぜここに書くのかということだけど、以前にもここで少しだけこの話をした。つまりこれは後日談および前日談だ。
もう一つ、僕は他人のこの手の文章を読んで、いたく救われた気分になったことがある。この話をすることで誰かの役に立つ可能性があるならそうしたい。

というのは建前で、単に誰かに見て欲しかっただけである。

付き合ってくれる人だけ読んでほしい。
読んでどう思ったか、書いてくれてもいいし、書かなくてもいい。

3. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時31分 ID:6afdef428e (2/11) ID抽出 返信

[1-1]
正直なところ、この辺りのことはあまり思い出したくない。しかし人に読んでもらう以上は思い出して書く必要がある。


2021年の3月に、会社を休職した。
僕は休職したくはなかったのだが、上司に休むよう言われ、これはもう無理だなと思った。
いつからだったか忘れたが、少なくとも半年以上前から、当日欠勤が頻発していた。
最後の方は週に2日や1日出社するのがやっとという状態だった。

出社できない、というのは、取りも直さず、会社に行けないということだった。
朝起きて、会社に行きたくない。
ベッドから体を起こす気も起きない。
横になったまま休みの連絡を入れる。電話で入れていたこともあったが、勇気が出なくてSMSのことも多かった。なんて不躾なと思いつつ、そうすることしかできなかった。

4. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時33分 ID:6afdef428e (3/11) ID抽出 返信

[1-2]
実際は必ずしも毎回そういう気分的な症状で休んでいたわけではなかった。単純に睡眠時間が足りていなくて、眠くてとても仕事できそうにない、という理由で休みの連絡を入れていることもよくあった。
しかし、今思い返せばそれも充分「そういう症状」だった。
11時前に寝てもきっかり3時間ですっぱりと目が覚め、その後まったく眠れないということがしょっちゅうだった。
もう一度寝ようとしても全く眠れないので、諦めてノートPCを開き、絵を描いていた。改めて寝られるのは5時くらいだった。僕はもともとロングスリーパー気味で、すっきり起きるには9時間は寝たいような人間だったから、かなり無理のある状態だった。

最後の方はもうかなり限界が来ていた。
通勤は電車を乗り継いでいた。着替えて電車に乗り、乗り換え駅で降りて改札を出て、乗り換え先の駅へ行かなければいけない。駅の方へ歩いて行くことができなくなり、回れ右で帰ったこともあった。
そんな状態でもまだ僕は自分から休職を言い出すつもりはなかった。一度休んだら当分戻ってこれないという確信のようなものがあったからだった。休職前に面談した産業医にもそう言ったが、単なる内科医と思われるその人は「あー…」のような反応だった。

5. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時35分 ID:6afdef428e (4/11) ID抽出 返信

[1-3]
そんなだから、休職するよう上司に言われたときは観念したような気持ちだった。
医者に行って診断をもらい、会社へ渡した。
最後に会社を後にするときは、安堵と落胆が半分ずつだった。

6. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時36分 ID:6afdef428e (5/11) ID抽出 返信

[1-4]
休職に入った直後のことはあまりはっきりと覚えていない。
自分が何を考えていたかも、何をしていたかもあまり思い出せない。
一つだけ覚えていることとしては、たぶん何も考えていなかったと思う。
何かを考える気力がないのだった。
無だった。
激しく落ち込むとか、休めてほっとするとか、そういう感情はもうなく、ただ無だった、そういう記憶がある。

歩いて数分の距離にあるコンビニへ、深夜に飯を買うためだけに行くのが限界で、それ以外で外出することができなかったことを覚えている。
最低限生命を維持するだけの何かは食わねばという気持ちだけがあったが、それ以外には何もすることができなかった。

7. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時38分 ID:6afdef428e (6/11) ID抽出 返信

[1-5]
間の悪かったのは、このとき引越した直後だったことだった。
なんでそんな状態で引越したかというと、それまで住んでいた会社の寮を年齢の関係で退寮しなければいけなかったからだ。
引越しをすること自体初めてだった。会社にも行けないような状態の人間が当然まともにことを運べるわけもなく、当日は大変な目に遭った。後で親には感心された。
そういうわけで休職時に部屋には家財のたぐいは無く、ダンボールだけが積まれた3月のまだ寒い部屋で、ひとりパソコンを開いてインターネットを見つめていた。
ベッドや布団もなかったので電気毛布を床に敷いて寝ていた。今思うと風邪を引かなくて良かった。

この頃何していたかは本気で覚えていない。
しかし、食事・洗濯・風呂だけは精神病だろうとなんだろうとしなければならない。
ここが運の良いところだが、歩いていける範囲にコインランドリーと銭湯があった。特にいまどき銭湯があるのはかなり運が良かった。
部屋にも風呂はあったが最初は使っていなかった。なにしろ引越しに伴う諸々の手続きがまともにできていないので、ガスがまだ通っていないのだった。
家周辺のあれこれは単なる偶然だった。引越し先の周辺のリサーチをする余裕など当然あるはずない。
家は通勤時間を第一で決めた。結局1週間ほどしかそこからは通勤していないからなんとも憐れだ。

8. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時39分 ID:6afdef428e (7/11) ID抽出 返信

[1-6]
そのうちもう少し外に出られるようになった。
よく覚えていないが一ヶ月くらいはかかったのではないかと思う。
夕飯に近くのラーメン屋に行ったりしていた。
引っ越しのときに面倒で捨てたりしたせいで足りないものが多く、買いに出たりしていた。

4月にYoutubeを見ていたときである。YoutubeのサジェストでVtuberを知り、ハマった。
Vtuberとは何かという説明はしない。本題ではないし、僕がしたくない。ハマっていたことは思い出したくないくらい黒歴史である。アイドルとYoutuberの合の子くらいの認識で充分だ。
今になって分かるのは、この時の僕にVtuberはとても都合が良かった。
時間はいくらでもあったので、何時からの何時間の配信だろうと見られた。そこには沢山の人がいたし、テレビもないので他に見るものもなかった。
そのうち推しのVtuberもでき熱中した。

配信は専ら夜なので、昼間はアニメを見たりしていた。アニメは昔から好きだった。大学生のときにある作品を見て以降、アニメという媒体そのものが好きだった。コロナで暇だった盆休みにエヴァを全作品一気観したりもした。見たい作品を配信サービスで見つけるのに苦労はしなかった。

9. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時40分 ID:6afdef428e (8/11) ID抽出 返信

[1-7]
このときの手帳がある。完全にただ過ぎるだけの日々がなんとなくあまり良くないなという気持ちで、4月の終わりぐらいから生活時間だけメモしていた。
生活リズムは基本的にバラバラだった。起きるのは16時くらいが比較的多かったようだ。配信が18時くらいからなのでそれに合わせて起きる。21時に起きたり、昼12時に起きたりしている日もある。
寝るのも夜2時くらいだったり、昼の12時だったりバラバラだ。30時間くらい起きていることもあれば、3時間くらいで寝たりもしている。
段々思い出してきたが、寝るときは眠くなったら寝るというスタンスだった気がする。思い出しているとまた具合が悪くなってきそうなのでこのぐらいにしておく。

そんな生活の間、肉体的には徐々に元気を取り戻していった。
しかし頭あるいは心の方は、実際のところあまり改善してはいなかった。仕事に戻るとかそういうことを考えられるような状態ではなかった。何かに立ち向かうとか、取り組むような気持ちは到底起こりそうになかった。
引っ越しに伴う様々の手続きはやらないとと思いつつさっぱり手を付けることができず、9月くらいまで残っていた。ダンボールも相当あとまでずっと残っていた。

10. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時41分 ID:6afdef428e (9/11) ID抽出 返信

[1-8]
この生活の間、一人だけ会っている人がいた。
父だった。
父は少し離れた所に住んでおり、ときどき様子を見に会いに来てくれて、一緒に近くの店で昼飯を食べたりした。
のみならず、僕をときどき旅行に連れ出した。
父はこの3月で最後の仕事を退職していた。定年のあとも再雇用で週に数日働いていたのを、完全にリタイアしていた。

もともと旅行好きな父だから、時間ができて別に一人でも行っただろうが、僕をあちこち連れて行った。
具体的には書けないが、城に行ったり、海に行ったり、動物園に行ったりした。
外に出かけることができない時でも、父と一緒なら遠出もすることができた。
もっとも僕は何も感じていなかった。およそ感性のようなものは死んでおり、特に嬉しくもありがたくも感じていなかった。どこへ行くのもただ無心でついて行くだけだった。

11. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時42分 ID:6afdef428e (10/11) ID抽出 返信

[1-9]
僕自身、この生活がいつまでも続くわけではないことは分かっていた。
着実に金が減っていった。
組合から生活費は貰っていたが、収支など当然計算していなかったし、何に使ったかあまり覚えていないので原因は分からない。
時間が余るとすることがないので金が減っていくということをこのとき学んだ。
実質的引きこもり生活をするにあたり、前から欲しかったデスクトップPCは買ったが、それを別にしても金は減っていった。
130万ほどあった貯金は減っていき、そのうち50万以下になった。
少し食費を減らす努力をしたが、意味があったかはわからない。
口座の金が減っていくのを意識しつつも、仕事に戻ろうという気持ちはまったく起こらなかった。
まるで気持ちがついてこなかった。


この生活は11月まで続いた。
適当で、外的ストレスのなく、何も考えない生活は楽ではあったが、特に楽しくも、幸せでもなかった。

この生活は、金とは別の方向で急に終わった。

12. 名無しのおっちゃん#geHS19k9fgNwE

2022年09月28日 23時43分 ID:6afdef428e (11/11) ID抽出 返信

続きは数日中に書きます。

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