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8月30日 〜武家〜

2022年08月30日
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1. 名無しのおっちゃん

2022年08月30日 21時47分 ID:cf4129bd16 (1/1) ID抽出 返信

1615年に武家諸法度が制定されました

武家にも色々ありますが、武家諸法度の対象は大名になります

主な目的は各大名の力を削ぐことにあり、参勤交代の義務化や大船建造の禁などがありました
徳川幕府は全体的に「徳川だけが良ければいい」という方針で運営されており、この武家諸法度もそれを象徴するものでした

話は変わりますが、
江戸時代は庶民向けの法律が一般に公開されることはありませんでした。

庶民は罪人の処罰を噂で聞いて、
このくらいの犯罪をするとこのくらいの刑罰になる"らしい"と推測する事しか出来なかったそうです。
やりたい放題ですね




ちなみに、鬼島津で有名な島津義弘の命日でもあります

2. 名無しのおっちゃん

2022年08月30日 22時39分 ID:9251e0f8dc (1/1) ID抽出 返信

そこまでやりたい放題でもない。
そして同じ罪でも庶民よりも武家の方が厳罰になることが多い。
明文化されてないので新撰組で言う「士道不覚悟」みたいなもので、
「武士らしくない所業」を理由にした改易や切腹もあったりする。

ちなみに8代将軍吉宗は明の法律を参考に法の明文化をめざし、
「官准刊行明律」という書籍を江戸と京都で発売し、
庶民にも法律がわかるようにしたとされる。
あくまで明の法律だが。
どれだけの庶民が読めたかについては非常に限定的だろう。

のちに完成される「公事方御定書」は、
三奉行(勘定奉行・寺社奉行・江戸町奉行)、
京都所司代、大坂城代といった重臣のみに公開され、
それ以外の者が見ることは禁じられ、刑罰も決められていた。
ただし実際は写本がある程度出回っており、
評定所や各藩でも大いに参考にされていた。

なので確かに庶民が法律について知る機会は、
実際に評定所でお裁きを受けたり、刑罰を見ない限りは、
ほぼ無理だったことは間違いない。
論語にある「民は由らしむべし、知らしむべからず」を、
「民衆は従わせればいいのであって、
 (法やその法がある理由を)知らせるべきではない」
と解釈した結果、こういうことになったとされる。

3. 名無しのおっちゃん

2022年08月30日 22時48分 ID:09fe01a959 (1/1) ID抽出 返信

はえー
博識やなぁ

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