
??「つまり誰彼構わず信じるべきなんですね!」
孟子「そんなこと言ってない」
??「人間は元々善だから努力をしなくても善人なんですね!」
孟子「そんなこと言ってない」
??「性善説を前提に考えれば法律いりませんよね!」
孟子「そんなこと言ってない」
孟子「…はぁ、伝わらんなぁ。。」
親鸞「わかるで。ワイも悪人正機言うたら
わざわざ強盗やら殺人する奴おったで」
三波春夫
「お客様は神様だから、芸をする時は神前に立つ気持ちで、
って言ったら『客は神や!言う通りにしろ!』とか言い出す、
頭おかしいクレーマーが増えてしまった…」
三人「…はぁ」
孟子は本性は善であると説いたが、
美しい山でも手入れしなければ荒れてしまう例を挙げ、
きちんと努力し、学問に励んでいくべきと主張した。
のちに朱子学の祖となる朱熹も、
学問や行いを反省することによって、
本性である善が表出するようになると説き、
後天的な努力の重要性を説いている。
親鸞は
「善人が極楽浄土に行けるのだから、
(もっと救われるべき立場である)悪人も、
(極楽に)行けないわけがない」
と説き、仏による愛の深さを言及して広めた。
その一方で「悪人だと極楽に行ける」と勘違いした者が、
わざわざ強盗や殺人を行って悪人になることで、
親鸞の説く極楽への道を求めた。
三波春夫は芸をする者の心得として、
神前に立つ気持ちで舞台に立ちなさいと説いたが、
客が神なんだと受け取った者たちは、
あたかも神の如く振舞うようになり、
サービス提供者へ無理な注文をするようになった。
これに対して「神は神でも貧乏神(疫病神)」、
そんな言い回しも流行した。
オッサン 「ほら、若いうちにしっかり勉強しとけ!
『時に及んでは勉励すべし、歳月は人を待たず』
って昔の偉い人も言ってるだろ!」
陶淵明「そういう意味じゃない」
『時に及んでは~』は陶淵明の雑詩十二首と呼ばれる、
一連の漢詩の第一首末尾にある句。
この詩は全体を通して人生の儚さをテーマに、
儚い人生だからこそ今を楽しもうという内容になっている。
中盤は
「人類皆兄弟、
楽しいことがあったらご近所を集めて、
大いに酒盛りをしよう」
というように詠っており、
「時に及んでは勉励すべし」を字面通りに受け取れば、
完全に意味の通じないものになってしまう。
「勉励すべし」というのは我々が「目の保養」と言う際に、
大体は粛々と目を休めるのではなく、
セクシーなおねぇちゃんを眺めているようなもので、
お堅い言葉を逆の意味で使うユーモア。
つまり「(行楽に)励みなさいよ」という意味。
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