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なるほど、委自体が朝鮮半島だったという説ですね。
自分は4つの説を考えていました。
・「極南界」は九州南部を指し、奴国が九州北部まで及んでいた
・奴国の崩壊と共に金印が志賀島まで持ち運ばれた
・「極南界」の表現が誇張表現であり、
「方千里」というような場合の「とにかく遠く」ぐらいの意味
・金印自体が贋作
印綬は交易で用いるものではないので、
列島と半島で商業的な関係があったとしても、
印綬自体が列島に流れ着くのは容易ならざることかと。
なおかつ貼っていただいたURLを見ても、
「委奴国(伊都国)」「委の奴の国」と訓じた両方の視点からして、
この国が九州北部にあったことはほぼ間違いなしとされていますね。
このURLは金印の真贋についてのもののようです。
一方、その国(伊都国あるいは奴国)の主要都市などが朝鮮半島にあった、
というような記述は見当たりませんでした。
逆に>>5さんの説でいくと志賀島、博多辺りを勢力とした国が、
朝鮮半島にも勢力を伸ばしていたという考えもできます。
そうすると主要部と比定される志賀島、博多近辺は「極南界」になります。
私は別にその説は推しませんが…。
>>6 研究者らの定説を覆せるぐらいに伊都国が朝鮮半島にあった証拠があれば、他の研究者が論文を書きますよ(笑)ただ今の定説とされているのも根拠が弱い。
貼ったURLから
(国宝になった金印だけが「民族名+国名」になっていることの説明ができるだろうか?)
金印が本物として、なぜ辺鄙な志賀島から発見されたかという問題が残る。
① 隠匿説―倭国大乱のあおりで、奴國が崩壊した可能性があり、その際金印が志賀島に隠されたとする。今のところ周辺で何ら遺構らしきものが発見されていないから(その他の説の)可能性はないだろう。
志賀島に王宮はないし、船で行くようなところには葬らないだろう。可能性があるのは①項だろう。
交易を有利にするため、水戸の御老公の印籠扱いしていたとか、朝鮮半島に存在した「倭奴国」が「倭国大乱」の際に金印保管場所が陥落し、脱出して日本列島に近い志賀島に隠匿したとか…
画像のアップローダーはImgurなどが比較的おすすめです。
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