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邪馬台国畿内説は無理があるよな

2022年06月16日
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2. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 11時38分 ID:dba4cd77f0 (1/3) ID抽出 返信

邪馬台国と天皇を中心とした政権の繋がりをどう捉えるか、
これにもよるかもしれない。
邪馬台国の後継が近畿を中心とした天皇中心の政権と見るか、
邪馬台国と天皇中心の政権を別個と見るか。

日本書紀やら古事記、神社の縁起なんか見る限りでは、
どうも近畿に大豪族が勃興して、
九州にあったなんらかの勢力を滅ぼした感じはするので、
そのなんらかの勢力が邪馬台国かあるいはその後継勢力のように思う。

邪馬台国は卑弥呼の死後、分裂して争乱となり、
臺與(壹與)という女性が統治するに至った、
で記録が途絶えているから、
どこかのタイミングで断絶したとも考えられる。
臺與が永遠に生きて統治したわけでもないから、
その死後はまた分裂したのだろうと考える。

気になるのは臺與(とよ)は現代の字で書くと「台与」であり、
つまり「台」は「ト」と読むことがある。
邪馬台国は「ヤマタイ」と読んではいるが、
普通に読み下すと「ヤマト」と読むのが妥当になる。
「ヤマト」という地名は近畿のことであるし、
近畿の政権が邪馬台国の後継として名乗ったのか、
そもそも邪馬台国が近畿にあったようにも思える。

天孫降臨の神話が高千穂(宮崎)にあるというのも不思議。

以上、結論は特にない素人の妄想です。

4. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 16時49分 ID:dba4cd77f0 (2/3) ID抽出 返信

漢委奴国王だから、
漢に所属する委(倭)にある奴の国の王という意味。

さすがに朝鮮半島との交流があったからってだけで、
「漢」が発行する正式の印綬は持てないんじゃないかな。
後漢の頃には往来があったと考えるのが妥当のように思うけど。
というか後漢書に思いっきり「奉貢朝賀」ってあるしね。
直接の往来がないとこういった記載にはならない。

後漢書の記載を誤謬とした上で、
金印について朝鮮半島との交流のみを示す史料として見ると、
朝鮮半島の何者かが勝手に漢の印綬を捏造したことになる。
当時の半島情勢を鑑みてもそこまでして漢を敵に回して、
なおかつ奴国とやらを騙して味方にするメリットはないと思われる。

その後の大和朝廷に関しては、
半島由来の騎馬民族説を結構信じてるけれど。

6. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 17時55分 ID:dba4cd77f0 (3/3) ID抽出 返信

なるほど、委自体が朝鮮半島だったという説ですね。

自分は4つの説を考えていました。
・「極南界」は九州南部を指し、奴国が九州北部まで及んでいた
・奴国の崩壊と共に金印が志賀島まで持ち運ばれた
・「極南界」の表現が誇張表現であり、
 「方千里」というような場合の「とにかく遠く」ぐらいの意味
・金印自体が贋作

印綬は交易で用いるものではないので、
列島と半島で商業的な関係があったとしても、
印綬自体が列島に流れ着くのは容易ならざることかと。
なおかつ貼っていただいたURLを見ても、
「委奴国(伊都国)」「委の奴の国」と訓じた両方の視点からして、
この国が九州北部にあったことはほぼ間違いなしとされていますね。
このURLは金印の真贋についてのもののようです。

一方、その国(伊都国あるいは奴国)の主要都市などが朝鮮半島にあった、
というような記述は見当たりませんでした。
逆に>>5さんの説でいくと志賀島、博多辺りを勢力とした国が、
朝鮮半島にも勢力を伸ばしていたという考えもできます。
そうすると主要部と比定される志賀島、博多近辺は「極南界」になります。
私は別にその説は推しませんが…。

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