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邪馬台国畿内説は無理があるよな

2022年06月16日
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1. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 11時14分 ID:4bd6fc25f4 (1/1) ID抽出 返信

当時日本海側から使節が来たとして
少しでも海路を短くするなら朝鮮半島経由で九州に到着するはずやん?
そこからわざわざ近畿まで来ないだろ

九州にも国がいくつもあったのは遺跡からわかってるんだし
そのうちの有力な所を探して金印渡したと考える方が自然だよね

畿内説はどうも政治の都合で主張してる気がする
奈良とか和歌山とかのろくな産業の無い土地を観光地化しようと考えて主張してるんだろう

2. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 11時38分 ID:dba4cd77f0 (1/3) ID抽出 返信

邪馬台国と天皇を中心とした政権の繋がりをどう捉えるか、
これにもよるかもしれない。
邪馬台国の後継が近畿を中心とした天皇中心の政権と見るか、
邪馬台国と天皇中心の政権を別個と見るか。

日本書紀やら古事記、神社の縁起なんか見る限りでは、
どうも近畿に大豪族が勃興して、
九州にあったなんらかの勢力を滅ぼした感じはするので、
そのなんらかの勢力が邪馬台国かあるいはその後継勢力のように思う。

邪馬台国は卑弥呼の死後、分裂して争乱となり、
臺與(壹與)という女性が統治するに至った、
で記録が途絶えているから、
どこかのタイミングで断絶したとも考えられる。
臺與が永遠に生きて統治したわけでもないから、
その死後はまた分裂したのだろうと考える。

気になるのは臺與(とよ)は現代の字で書くと「台与」であり、
つまり「台」は「ト」と読むことがある。
邪馬台国は「ヤマタイ」と読んではいるが、
普通に読み下すと「ヤマト」と読むのが妥当になる。
「ヤマト」という地名は近畿のことであるし、
近畿の政権が邪馬台国の後継として名乗ったのか、
そもそも邪馬台国が近畿にあったようにも思える。

天孫降臨の神話が高千穂(宮崎)にあるというのも不思議。

以上、結論は特にない素人の妄想です。

3. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 16時19分 ID:42991e7eaf (1/2) ID抽出 返信

邪馬台国が日本列島に存在したはずだ、という根拠自体薄いよね。
邪馬台国は朝鮮半島にあったとでも、倭人伝の行程の方角や距離を恣意的に変えられるのなら「立証」できるね。
天孫降臨を邪馬台国が関係している資料はないし、倭人の極南界である委奴国の金印が博多から発見された金印は、朝鮮半島と交流があった事の証明にしかならない。

4. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 16時49分 ID:dba4cd77f0 (2/3) ID抽出 返信

漢委奴国王だから、
漢に所属する委(倭)にある奴の国の王という意味。

さすがに朝鮮半島との交流があったからってだけで、
「漢」が発行する正式の印綬は持てないんじゃないかな。
後漢の頃には往来があったと考えるのが妥当のように思うけど。
というか後漢書に思いっきり「奉貢朝賀」ってあるしね。
直接の往来がないとこういった記載にはならない。

後漢書の記載を誤謬とした上で、
金印について朝鮮半島との交流のみを示す史料として見ると、
朝鮮半島の何者かが勝手に漢の印綬を捏造したことになる。
当時の半島情勢を鑑みてもそこまでして漢を敵に回して、
なおかつ奴国とやらを騙して味方にするメリットはないと思われる。

その後の大和朝廷に関しては、
半島由来の騎馬民族説を結構信じてるけれど。

5. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 17時19分 ID:42991e7eaf (2/2) ID抽出 返信

>>4
漢委奴国王は朝鮮半島在住でその勢力圏極南界が現福岡県福岡市東区志賀島という意味。
日本列島在住者との交易で金印がおいているなら筋は通る。
この金印は出土状態(土層、関連遺物の有無など)が不明であるため、それ
が実際に 1 世紀に制作されて 1 世紀に志賀島に持ってこられて 1600 年間、志賀
島の地中から動かなかったかどうかの検証ができないもの
https://www.ozoz.jp/kabeyama/koki/kininnonazo.pdf

6. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 17時55分 ID:dba4cd77f0 (3/3) ID抽出 返信

なるほど、委自体が朝鮮半島だったという説ですね。

自分は4つの説を考えていました。
・「極南界」は九州南部を指し、奴国が九州北部まで及んでいた
・奴国の崩壊と共に金印が志賀島まで持ち運ばれた
・「極南界」の表現が誇張表現であり、
 「方千里」というような場合の「とにかく遠く」ぐらいの意味
・金印自体が贋作

印綬は交易で用いるものではないので、
列島と半島で商業的な関係があったとしても、
印綬自体が列島に流れ着くのは容易ならざることかと。
なおかつ貼っていただいたURLを見ても、
「委奴国(伊都国)」「委の奴の国」と訓じた両方の視点からして、
この国が九州北部にあったことはほぼ間違いなしとされていますね。
このURLは金印の真贋についてのもののようです。

一方、その国(伊都国あるいは奴国)の主要都市などが朝鮮半島にあった、
というような記述は見当たりませんでした。
逆に>>5さんの説でいくと志賀島、博多辺りを勢力とした国が、
朝鮮半島にも勢力を伸ばしていたという考えもできます。
そうすると主要部と比定される志賀島、博多近辺は「極南界」になります。
私は別にその説は推しませんが…。

7. 名無しのおっちゃん

2022年06月16日 19時24分 ID:1e0dfa21bc (1/1) ID抽出 返信

めっちゃおもしろい

8. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 11時36分 ID:0ad6ddc478 (1/3) ID抽出 返信

>>6  研究者らの定説を覆せるぐらいに伊都国が朝鮮半島にあった証拠があれば、他の研究者が論文を書きますよ(笑)ただ今の定説とされているのも根拠が弱い。
貼ったURLから
(国宝になった金印だけが「民族名+国名」になっていることの説明ができるだろうか?)
金印が本物として、なぜ辺鄙な志賀島から発見されたかという問題が残る。
① 隠匿説―倭国大乱のあおりで、奴國が崩壊した可能性があり、その際金印が志賀島に隠されたとする。今のところ周辺で何ら遺構らしきものが発見されていないから(その他の説の)可能性はないだろう。
志賀島に王宮はないし、船で行くようなところには葬らないだろう。可能性があるのは①項だろう。

交易を有利にするため、水戸の御老公の印籠扱いしていたとか、朝鮮半島に存在した「倭奴国」が「倭国大乱」の際に金印保管場所が陥落し、脱出して日本列島に近い志賀島に隠匿したとか…

9. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 12時50分 ID:5505c48c08 (1/4) ID抽出 返信

>>8
金印の真贋で恐らく貴方は偽物だと思っているのだろうから、
金印に何が刻まれていようと貴方の説からは関係がないはず。
また「委奴」についても「伊都国」という単一の国を示している、
そう考える意見もあるわけであって、
「民族+国名」が不自然であるならそう受け取ることもできます。

そして九州北部に大規模な集落があったという史跡、
例えば吉野ケ里遺跡などがありますが、
朝鮮半島ではこういった史跡の存在は知られていません。
なので現状では朝鮮半島に「委奴国」と比定できる土地がないのです。

さらにですが、仮に金印が偽物だったとしても後漢書の記述がある以上、
「委奴国」というのが日本にあったということの方が、
朝鮮半島にあったという説より信憑性があるわけです。
「金印が偽物=後漢書がウソ」という話ではないからです。

長くなりましたが、続きます。
連投失礼します。

10. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 13時01分 ID:5505c48c08 (2/4) ID抽出 返信

それから朝鮮半島委奴国説に関して考えてみましたが、
例えばイギリスはかつてインドを支配しており、
そのインドの方が本土より広大で人口も上回っていますが、
歴史上「イギリスはアラブの東南に位置する」とはされません。

つまり「極南界」と表記しているのは、
そこが中心であるという意味に外ならず、
貴方のおっしゃるように志賀島が「極南界」であるなら、
その地点より北方を支配しているか、
単純にすごく南方にあるかといった意味であり、
なおかつそこが中心となっているという論説になるわけです。
あくまで国の位置とは内外の事態に対する決定権を有する機関が、
どこに位置するかで論ずるものだからです。

また印綬をそのように扱うことは「ない」です。
あくまで正式な外交交渉の場であったり、
あるいは内乱などが起こった際の「正統性」を主張するものです。
なので持ち出された可能性は否定できませんが、
元々そこにあった可能性も同時に否定できません。

印綬はそれ自体が皇帝の権威を象徴するものなので、
軽々しく扱えるとすればそれは発行した皇帝の権威が失墜したか、
あるいは皇帝への反逆を企てている場合になります。
商人が物珍しさで見せびらかすようなものではありません。

11. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 14時02分 ID:0ad6ddc478 (2/3) ID抽出 返信

>>9 「金印が偽物=後漢書がウソ」という話ではないとして、それが「委奴国」というのが日本列島にあったとの根拠にはならないでしょう。
時代を下って、4~5世紀前半の広開土王陵碑・三国史記新羅本紀には倭国の侵攻記事が頻繁に有り、5方向から侵入した記録も有ります。 倭は朝鮮半島にあったと仮定する方が、三国史記の記述は自然です。
>>10
当時の政治風習が中世近現代と同一と証明できない以上、根拠は薄いでしょうが、辺境伯が皇帝や王に賜った品を「交易を含む外交交渉」につかうことはありますよね。
そして「交易」としたのはその当時の日本列島在民が「外交交渉」の相手先なのかということでもあります。

12. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 14時37分 ID:5505c48c08 (3/4) ID抽出 返信

>>11
なので吉野ケ里遺跡の例を出しているわけです。
客観的に見て「当時日本の九州北部にそれなりの国家があった」という推測と、
それが委奴国なり奴国なり、漢に朝貢できる大きさのものだった、
という推測は別段矛盾しません。
一方朝鮮半島には吉野ケ里遺跡に類する史跡がありません。

そして仮に朝鮮半島からの使者であれば楽浪郡を経由するはずですので、
後漢書では「楽浪の東なり」そういった記載になるはずです。
わざわざ「極南界」などと言う必要がないわけです。
つまり委奴国は朝鮮半島にはなかったと考えた方が自然です。

そして広開土王碑文、三国史記いずれも倭国の侵攻記事についてですが、
391年の出来事として明確に「倭が侵略し(諸国を)臣民とした」とあります。
元々倭が朝鮮半島にあったのであれば、
新羅、百済、任那、伽耶などと同列に名前が出るはずですが、
突然「侵略者」として出てくるということは外から来たのでしょう。
少なくとも4世紀には倭は日本にあることになります。

1世紀頃には史記の平準書、漢書の食貨志というような文献が残されており、
当時の風習や職制、はたまた文化史に当たる記載が豊富にあります。
印綬をそのように用いるというような記載はないです。
当時信奉されていた儒教の概念からしても甚だ不遜なことに当たります。

13. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 15時38分 ID:0ad6ddc478 (3/3) ID抽出 返信

>>12
朝鮮半島には吉野ケ里遺跡に類する史跡がない(正確には現楽浪郡にはある)が朝鮮半島南西部で多くの前方後円墳墓が発見されている、委奴国が興らない理由にはならない。

朝鮮半島からの使者であれば楽浪郡を経由するはず という推測は
今と違い道路事情が海路をつかわないほど整備されていなかっただけでは。実際に隋帝国や唐帝国は陸続きにも係わらず、何度も朝鮮半島に海を渡って水軍を派遣している。
海路が難しいなら、現実の対馬海峡の海況を考慮すれば、 倭の30ケ国が中国と通じていたとか、 対馬住民が南北に穀物を買出しに行ったとか、 中国の郡使が対馬海峡を往来していたとかいう倭人伝の記述が日本列島にあてはまらないことになる。

14. 名無しのおっちゃん

2022年06月17日 16時36分 ID:5505c48c08 (4/4) ID抽出 返信

朝鮮半島南西部の史跡は5世紀~6世紀のものだと、
地元韓国の学者の方々が推測されております。
つまり1世紀には存在しておりません。
なので委奴国が朝鮮半島になかった証拠にこそなるものの、
あった証拠には使えません。

なお吉野ケ里遺跡は「縄文以降」ですので、
ちょうど後漢書が指す時期にも存在したことになります。
また楽浪郡は朝鮮半島北西部でしょうから、
「極南界」の表記と矛盾します。

現楽浪郡にある当時の史跡は恐らく楽浪郡そのものでしょう。
というのも木簡などが出土しているからです。
当時朝鮮半島にも日本列島にも文字を使う文化は存在しなかったので、
それは漢の役所があった可能性が高いということです。
そうでなければ「委奴国は楽浪郡である」と記載するだけですので。
つまり楽浪郡に史跡があるということは当然であり、
それが委奴国とは違うものであることも明白です。

後半に関してですが、
正直なところそれらが「委奴国が日本になかった」という話に、
どうつながるのかがわかりませんでした。
また「朝鮮半島にあった」という話にも関係しないかと思われます。

15. 名無しのおっちゃん

2022年06月18日 06時16分 ID:057e5ca7c8 (1/1) ID抽出 返信

>>14
こちらはネタ切れ気味なのでこれで最後のレスにしますが、日本列島に住む人々が倭・倭人と呼称されるに至った由来にはいくつかの説があるが、いずれも定説の域には達していない。時代が下った倭の五王でさえ現状の史料で天皇と比定するのには限界がある。
朝鮮半島南西部の史跡は1世紀には存在していないから「国」がないとの主張にとれるが
文献『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝の弁辰伝・辰韓伝で紀元前2世紀末から4世紀にかけて朝鮮半島南部に存在した三韓がある。
当時の朝鮮半島視点で見ると、倭は、正直なところ蛮族以外の何者でもないなと。今以上に半島との繋がりが多く、中国からは倭を重要視してない(遠すぎて眼中に無い)
長く付き合ってくれて感謝します。

16. 名無しのおっちゃん

2022年06月18日 17時27分 ID:82a3bc8cee (1/1) ID抽出 返信

>>15
古代のことについてはどこであろうと仮説の域を出ません。
それは日本に邪馬台国があったかどうかももちろんそうですし、
当時を見た人がいないのですから当然と言えます。
ただ以上の私の説の裏付けとする史料に対して、
朝鮮半島にあったと裏付ける史料の根拠はより薄いように思いました。

日本になかったことが即ち朝鮮半島にあったということにはならないので、
その三韓を裏付ける史跡などの発掘に期待したいところですね。

一つ申し上げておきますと、
当時の東アジア世界においては漢民族以外は全て蛮族です。
なので倭が当時の尺度において蛮族なのは間違いないと言えます。
同時にそれは現代の価値観におけるものとは異なります。
一体なぜこの段になってそれを指摘されたか、
意図はよくわかりませんが…。

個人的には日本になかったのであれば、
沖縄などの南西諸島かあるいは台湾など、
いずれにせよ南方に存在したのではないかと思っています。

ともあれ不明だからこそ色々な説を出すことができ、
こうして違った意見の方ともやり取りができる、
そうした機会に恵まれて幸いでした。
ありがとうございました。

17. 名無しのおっちゃん

2022年06月18日 19時13分 ID:65e96391d4 (1/1) ID抽出 返信


めっちゃ本格的な議論やったから介入はせんかったが
すごい面白かったで

ちなみにワイは、邪馬台国は明確な場所がないふわふわした組織群じゃないかなぁと
九州説も近畿説も国外説も、どれにしたって矛盾があるし
そもそも当時の日本でそんな巨大な王国で国民単位の意思疎通ができんのか疑問やし
なんなら卑弥呼が実在したって証拠が完全ではないからな

当時は地図も面積基準も今ほど正確ではないから、魏志倭人伝も信憑性は限られる

まあそんな事いったら歴史は全部が完全じゃないし、完全じゃないからこそ良いんだけどな

ガチの何の知識もない奴が口出ししてすまんな

18. 名無しのおっちゃん

2022年06月20日 01時39分 ID:12b79a5b26 (1/1) ID抽出 返信

結局委奴国について終始してしまい、
本来は邪馬台国に関するスレッドにも関わらず、
大きく逸脱してしまい申し訳ありませんでした。
私もド素人ですので、
延々と書き連ねたレスも説明が下手でお見苦しい限りです。

豪族の集合体説は私も推したいところです。
魏志倭人伝には邪馬台国のほかにもいくつか国が出てきますので、
全く無関係ではないでしょう。

そして何よりおっしゃる通り、
「ここにあった」「いやここだ」と、
議論できるそのこと自体に価値があると思います。

19. 名無しのおっちゃん

2022年06月21日 21時10分 ID:200ddd0b5b (1/1) ID抽出 返信

現在の有力説はどうなっているのかと探してみたよ。
以下日本史オンライン講座
現在の高等学校の教科書の内容や高校生に邪馬台国を説明するために、信頼できそうな本を読んで、有力な説をまとめると、この動画になるかな、という感じです。
私個人には意見はありません。専門的なことは、研究者の方に質問されてはいかがでしょうか
https://www.youtube.com/watch?v=oI4mSeEwxxs

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